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2010年10月22日 (金)

新しい科学194

 レベルⅢへの到達方法(続き)

 訳本の24頁には次のように書かれています。「友田がロジャーズの初期の代表的著書『カウンセリングとサイコセラピー』(1942)を検討したとき、決定的に重要な転換がもたらされたのです。・・(中略)・・実際の面接場面の広範な逐語記録が掲載された初めての本で、それによって、単にセラピストがどんな理論を支持するかよりも実際に何をするかということに焦点を当てる、セラピー研究の新次元が切り拓かれたのです。引用された事例は、「ハーバート・ブライアンのケース」と呼ばれています。・・(中略)・・友田は、折々に「ブライアン氏」が「真空」、すなわち、独りの状態になる必要があると言及していることに着目しました。対するセラピストは、その度に、中立または否定的に、これに応じています。セラピストは理論上は、非指示的であり続けましたが、一般の西欧のセラピストと同様、孤独な状態もしくは真空の状態の治療効果について非常に熱心だったわけではないようです。・・(中略)・・友田の見解では、「人間というものの真の飛躍もしくは成長は、完全に一人ぼっちであるときに生起する。個人の飛躍もしくは成長を確かなものにするのは、何らかの人間関係においてか、もしくは現実の世の中においてである。がしかし、真の成長がおこるのは、現実の人間関係においてでもなければ現実の世の中においてでもない。」友田はさらに、「このことはまた、禅の真理である。(中略)カウンセリングに関して言えば、ロジャーズ派の技術の真義は、それらの技術がクライエントを援けて完全に一人ぼっちである状態になるようにすることである。」と続けます。」

 ロジャーズの弟子であり、共同研究者であったジェンドリンはフォーカシングという心理的技法を創りましたが、ここではまさに沈黙が重要で、大きな変化をもたらします。(ただ、ジェンドリンが友田のように真空の重要さを認識しているかどうかは、残念ながら私は知りません。)

 本書の25頁では「「完全に一人ぼっち」とは、友田はいったい何を意味するのでしょうか。人間が肉体的に一人であるとは限りません。なぜなら、心の中には「内なる見ず知らずの人」、他者というイメージがあるからです。人は神経を尖らせてこれらの他者を気にしているので、一人ぼっちを感じないのです。しかし、深く正確に自分を理解してくれる人といっしょにいるときには、内なる他人の世話はその人に任せることができて、本人は、一時的に、そのような気を使う必要から解放されます。こうして自由になると、邪魔されることなく内面の探求に専念できるのです。これが友田の理論ですが、それは伝統的な仏教の考え方を反映しています。」と書かれています。

 ここで感じることは、一つは言葉を覚える以前の幼児が一人でいるときと、言葉を覚えた大人が一人いるときの違いを考えて置いた方が良いということです。 一般人格形成理論での音声言語段階人格を思い出してもらえば、直ぐ分かると思いますが、外的対象関係が内的対象関係になったように、その人が一人であっても、他者と対象と音声がその人格を内的に形成しているのです。ですから、『心の中には「内なる見ず知らずの人」、他者というイメージがある』のです。 心というものは人格の働きであって、身体や人々、あるいは対象と独立に有るものではありません。

 さらに、釈迦やキリストも深い孤独の中で、真理(空とか愛)を見出したのです。

 釈迦はインドの昼なお暗き森の中で、夜はそれこそ一寸先も見えぬような闇の中、牛などの骸骨を枕として寝たりして、一人瞑想にふけったようであります。朝になると、牛使いの少年が寝ている釈迦の耳の穴に木の枝を差し込んだり、釈迦の身体の上に枯葉を撒いたり、さらに小便をジャージャーと掛けたりしたらしいのです。それでも釈迦の心は不動で平常心を失わなかったようです。

 イエス・キリストは悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた、とマタイ伝にありますが、40日40夜の断食は一人孤独の中に居て新しい真理を見出したと言えましょう。

 岸本英夫は50歳の頃、アメリカの大学で教授としての在外教育研究中、皮膚癌に冒されて、あと半年の命と宣告され、物凄い恐怖に襲われました。全くの孤独の中で生命飢餓状態(彼の言葉)となり、自分の死生観を試されざるを得なかったのでした。

 私の場合も、一卵性双生児との体験を考える中で、「死後の世界の有り得ないこと」を知ったとき、底無しの穴に落ちてゆく物凄い恐怖感を伴う運動幻覚に襲われました。それは恐怖感ばかりでなく、生きることは無意味であるという虚無感も伴っていました。その幻覚は、幸い、ある行為によって一時的に消えたのですが、意識すると、また、すぐ復活するので、その後は人に話すこともできず、自分で意識することもできないまま、ほぼ15年間一人で黙って、耐えて、克服しました。

 第三自我形成期(第三反抗期)を超えるには、誰でもたった一人で超えて行くより他に道は無いようです。他者のやってあげられることは、本人が自由に一人で工夫して克服できるように、暖かく見守ってあげることでしょう。このような配慮の仕方をハイデッガーは垂範的配慮(vorausspringende Fursorge(uはウムラウト付き))と言いました。母性的とか父性的と並べて、人格的垂範的配慮と言って置くといいかも知れません。

 カウンセラーがクライエントにやってあげられる配慮はまさに人格的垂範的配慮であり、それは受身的な消極的なものと言うより、積極的な傾聴、実践的で適切な愛の行為であると言えるでしょう。

 母性的尽力的配慮は相手を甘やかしたり、子ども扱いするものですし、父性的訓育的配慮は相手を支配したり、奴隷化するものでしかないわけです。第三自我形成期(第三反抗期)を超えてレベルⅢの人格に到達することは、本人にとっても周りの人々にとっても、大変難しい困難なことでもあります。

 

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